千葉地方裁判所 昭和36年(ワ)232号 判決 1963年7月19日
判 決
千葉市(省略)
原告
(省略)
右訴訟代理人弁護士
柴田睦夫
神奈川県中郡二宮町二宮九一八番地
被告
谷地政司
銚子市興野二丁目一三〇番地
被告
宮内尊治
右被告両名訴訟代理人弁護士
五木田隆
右当事者間の、昭和三六年(ワ)第二三二号損害賠償請求事件について、当裁判所は、次の通り判決する。
主文
一、被告等は、連帯して、原告に対し、金四九一、八六四円及び之に対する昭和三三年一〇月二九日からその支払済に至るまでの年五分の割合による金員を支払わなければならない。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は、之を三分し、その一を原告の負担、その二を被告等の連帯負担とする。
四、この判決は、原告に於て、被告等に対する共同の担保として、金八〇、〇〇〇円を供託するときは、第一項について、仮に、之を執行することが出来る。
事実
原告訴訟代理人は、「被告等は、各自、原告に対し、金七五〇、八六四円及び之に対する昭和三三年一〇月二九日からその支払済に至るまでの年五分の割合による金員を支払わなければならない、訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一、被告宮内は、運送業を営み、本件貨物自動車(千一あ一〇八五号、以下本件トラックと云う)を、自己の為めに運行の用に供して居たものであり、被告谷地は、その被用者たる運転者として、右自動車を運転して居たものである。
二、原告は、昭和三三年一〇月九日午前一時過ぎ頃、自転車の後部荷台に内縁の妻である訴外Oを同乗させて之を運転し、習志野市津田沼町七丁目の国道を船橋市方面に向つて、その左側を進行し、同日午前一時一〇分頃、同町七丁目一、七〇〇番地先にさしかかつた際、右国道左側(但し、右自転車の進行方向から見て、本件トラックの進行方向から見れば右側となる)を千葉方面に向つて、進行して来た被告谷地の運転して居た本件トラックに、衝突されて、運転中の自転車と共にはねとばされ、右訴外Oは、頭蓋底骨折によつて、その場で即死し、原告は、右大腿骨々折等の傷害を受けた。
三、右衝突事故は、右トラックを運転して居た被告谷地の過失に基因するものである。即ち、同被告は、睡眠不足の為め、右事故現場にさしかかる前から睡気を催し、そのため、前方を充分に注視することができない状態にあつたので、運転を中止すべきであつたに拘らず、運転を中止しないで、慢然、運転を継続し、その結果、右事故現場にさしかかつた頃には、殆んど、仮眠状態に陥り、その運転する右トラックを、右国道の右側(前記自転車の進行方向からすれば左側)を進行させるに至つたのであるが、右事故発生の地点手前、五、六メートル附近にまで進行した際、原告の運転する自転車が、同地点附近を反対方向に向つて、進行中であることに気づき、急ブレーキをかけたが及ばず、自動車の前部を原告の運転する自転車に衝突させて、自転車もろ共に、原告及び同乗の右訴外Oをはねとばした上、漸く、右トラックを停車させたものであるから、右事故は、明らかに、被告谷地の過失に基因するものである。従つて、被告谷地は、右事故を発生せしめたものとして、又、被告宮内は、右トラックの保有者として、右事故によつて、原告の蒙つた損害を賠償すべき義務のあるものである。(以下―省略)
理由
一、被告宮内が本件トラックの保有者、被告谷地がその運転者であつたこと、及び原告主張の日時、場所で、原告主張の事故が発生し、之によつて原告がその主張の傷害を受け、訴外Oがその場で即死したことは、当事者間に争のないところである。
二、而して、成立に争のない甲第一号証と同第二号証(添付の見取図を含む)とを総合すると、右事故は、原告主張の経緯によつて、発生するに至つたものであることが認められ、この認定を動かすに足りる証拠は全然ないのであるから、右事故の発生は、被告谷地の過失によるものであると認定せざるを得ないものである。
三、然る以上、被告谷地が、右事故を発生せしめたものとして、又、被告宮内が、被告谷地が運転して右事故を発生せしめた本件トラックの保有者として、夫々、原告が右事故によつて蒙つた損害の賠償を為すべき義務を負うて居ることは、多言を要しないところである。而して、右両名の義務は、不真正連帯の関係にあると解されるので、右被告両名は、連帯して、右損害の賠償を為すべき義務があると云わなければならないものである。
四、而して、右事故によつて原告が蒙つた損害について審按すると、その額は、以下に認定の通りであると認められ、この認定を動かすに足りる証拠はない。
(1)入院治療費の支払による損害の額。
(証拠―省略)を綜合すると、原告は、前記事故によつて傷害を受けた為め、その主張の病院に入院治療し、その後、右下腿部に、壊疽を併発したので、右足を膝下一〇センチメートルの処で切断し、昭和三四年六月中まで、同病院に入院治療を続け、その費用として、合計金一二五、八五三円の支払を為したことが認められるところ、原告が右費用として支払を為したと主張するところの額は、右額以下の金一一七、八六四円であるから、右費用を支払つたことによつて原告が蒙つた損害の額は、金一一七、八六四円であると認定する。
被告等は、壊疽の併発による右足の切断は、医師がその処置を誤つた結果によるもので、前記事故とは因果関係のないものであるから、右治療の為めに要した費用は、右損害額から控除せらるべきである旨の主張を為して居るのであるが、証人(省略)の証言によると、右壊疽は、前記事故によつて、右足下部の血管が壊滅し、その為め血行が閉止し、之によつて、その発生を見るに至つたものであることが認められるので、右壊疽の発生と右事故の間には、因果関係の存することが明らかであると云わなければならないから、その治療費は当然に損害額に加算すべきものであり、従つて、被告等の右主張は、理由がないことに帰着する。
(2)、得べかりし利益を失つたことによる損害の額。
(証拠―省略)によると、原告は、前記事故発生の当時、室内装飾品の製造販売を為して若干の収入を挙げて居たことが認められるので、前記入院によつて、得べかりし若干の利益を失つたことは当然であると認められるのであるが、右収入の点に関する証拠は、右に挙示の証拠のみであつて、他に、証拠がなく、而も右証拠によつては、その額を確定することが出来ないので、結局、得べかりし利益を失つたことによる損害の額は、之を確定することの出来ないものである。従つて、原告が、得べかりし利益を失つたことによつて蒙つたと主張する損害の額は、之を認めることの出来ないものである。
(3)、義足を使用せざるを得なくなつたことによる損害の額。
原告は、前記の通り、右足を切断したので、義足を使用せざるを得ないものであるところ、原告の主張自体と原告本人の供述と原告の年令が本年三六才であつて、日本人の現在の生存年数によると今後なお三〇年は生存し得られると認められることによつて、原告は、今後、なお、三〇年間は、義足を使用する必要があると認められるところ、(証拠―省略)によると、義足一本の価格は、金二〇、〇〇〇円、その耐用年数は、三年間であると認めるのが相当であると認められ、而も年二回補修を為す必要があると認められるのであつて、その補修費については、特段の証拠はないのであるが、義足器具の構造、性質と一般にこの種器具の補修に要する費用の性質を考慮し、その費用は一回について、その価格の五分程度と算定するのが相当であると認められるので、その一回の補修費は、金一、〇〇〇円であると算定するのが相当であると認められるから、三年間の補修費は、金六、〇〇〇円を要することとなり、従つて、義足一本を三年間使用するについては、合計金二六、〇〇〇円を要することとなるから、三〇年間には、金二六〇、〇〇〇円の支出を要することとなるものであるところ、之をホフマン式計算法によつて、現在額に引直すと、金一〇四、〇〇〇円となるから、義足を使用せざるを得なくなつたことによる損害の額は金一〇四、〇〇〇円であると認定する。
(4)、自転車が使用不能になつたことによる損害。
証人(省略)の証言によると、右事故の為め、自転車が使用不能になつたことによる損害金九、〇〇〇円は、既に、その支払の為されたことが認められるので、右損害の賠償を求める権利は既に消滅に帰して居ると云わなければならないものである。
(5)、原告自身の身体傷害による精神上の苦痛に対する慰藉料。
原告が、不慮の災害によつて、傷害を蒙り、果ては、右足下部を切断せざるを得なくなり、その結果、不具者となつて、今後の生涯を送らなければならなくなつたこと、そして、不具者となつた結果、今後は、思う様な職業には就き得なくなつたこと、仮に、適当な職業に就き得たとしても、活動は不十分であつて、十分な収入は得られないであろうと認められること、家には、年老いた父母があつて、原告が之を養わなければならないのに、不具者となつた結果、その様なことも十分には為し得ず、家族の生活等も哀れな状態に陥らざるを得ないと認められること(この点は、証人(省略)の証言並に原告本人の供述によつて之を認める)、そして、以上の様な状態は、将来とも長く続くであろうと推認されること、その他、本件に現われた証拠によつて認められるところの諸事情を綜合して考察すると、原告が本件事故によつて蒙り、且、現在蒙りつつあるところの精神上の苦痛は、相当以上に深刻なものがあると思料されるので、それに対する慰藉料の額は金四〇〇、〇〇〇円と算定するのが相当であると認められるので、その額は、金四〇〇、〇〇〇円と認定する。
尚、被告等の答弁を綜合して考察すると、被告等は、原告の人格、行状、社会的地位等について、若干の攻撃を加えて居り、本件に現われた証拠によると、被告等主張の様な悪しき部分の若干あることが認められないでもないが、それ等の事情が存在して居るからと云つて、本件事故によつて、原告の蒙つた精神上の苦痛が少いものであるとの認定を為すことは出来ないものであるから、右慰藉料額の算定については、右の事情の存在することは、考慮の外に置いたので、特に、この点について、一言附加する次第である。
(6)、内縁の妻訴外Oが右事故によつて即死したことによる原告の精神上の苦痛に対する慰藉料。
原告が、訴外と婚姻の挙式を為して、同棲し、右両名が、事実上の夫婦として、内縁関係にあつたことは、(証拠―省略)とによつて、之を認定することが出来る。被告等は、この点について、右訴外Oは、売春婦で、原告は、その単なる「ヒモ」に過ぎないものであるから、右両名の間には、内縁関係は存在しなかつたものであると云う趣旨の主張を為して居るのであるが、その様な事実は、之を認めるに足りる証拠がないのであるから、被告等主張の右事実のあることは、之を認めるに由ないところである。而して、右認定の事実によると、右両名は、正当な内縁関係にあつたものと認められるのであつて、斯る場合に於ては、内縁の妻は、法律上の妻に準ずる地位にあるものと解するのが相当であるから、内縁の夫である原告は、その内縁の妻の事故死によつて蒙つた精神上の苦痛について、慰藉料の支払を求め得る権利を有するものであると云わなければならない。而して、その慰藉料の額は、その死が不慮の死であること、及び原告本人の供述によつて認められるところの、同棲の期間が短かつたこと、両名の間には子がなかつたこと、その他を考慮して、金一〇〇、〇〇〇円と算定するのが相当であると認められるので、その額は金一〇〇、〇〇〇円であると認定する。被告等は、右訴外Oが売春婦であることを前提として、内縁関係のあることを否認すると共に、仮に内縁関係があつたとしても、原告は、右訴外Oに対し愛情を有しなかつたものであるから、慰藉料の支払を求める権利はないと云う趣旨の主張を為して居るのであるが、右両名の間に内縁関係のあつたことは前記認定の通りであり、又、右訴外Oが曾て接客婦として、所謂赤線地域に於て、勤務して居たことのあることは、原告本人の供述によつて、之を認め得るのであるが、原告と内縁関係成立後その様な勤務を為して居た証拠は全然なく、仮に、内縁関係の成立後に於て、その様な勤務を為して居たとしても、そのこと自体によつて、原告が右訴外Oに全然愛情を有しなかつたものとは云い難く、而も人間の生命を奪われたことによつて、それと人間関係を結んだ者の蒙る苦痛は、仮命、その人間がしがない職業に従事する女性であつたとしても、決して僅少なものではないと思料されるので、仮令、右訴外Oが被告等主張の様な職業の女性であるとしても、原告は、なお、その正当な内縁の夫として、慰藉料の支払を求める権利を有すると認めるのが相当であると云うべく、而して、原告が、右訴外Oに対し、愛情を有しなかつたことについては、之を認めるに足る証拠が全然ないのであるから、その様な事実のあることを前提とする被告等の原告に慰藉料の支払を求める権利がない旨の主張は、理由がないことに帰着する。
五、而して、被告宮内が、原告に対し、入院治療費として、金八〇、〇〇〇円の支払を為し、又、自動車災害保険金一〇〇、〇〇〇円の支払が為されたことは、原告の自認するところであり、更に、原告本人の供述によると、原告は、前記訴外たき子の遺族から、同人等が右たき子の死亡によつて受領した保険金中、金五〇、〇〇〇円の交付を受けたことが認められるところ、以上の金員は、孰れも、結局に於て、原告の利得となつて居るものであるから、全部、損害額から控除するのが相当であると認められるので、前記各損害の合計額金七二一、八六四円から、原告の受領した右各金員の合計金二三〇、〇〇〇円を控除した残額金四九一、八六四円が、被告等に対し、原告が賠償を求め得るところの損害額となるものである。
六、以上の次第であるから、原告は、本件事故によつて蒙つた損害の賠償として、被告等に対し、連帯して、金四九一、八六四円及び之に対する右事故の発生した日である昭和三三年一〇月二九日からその支払済に至るまでの民法所定の年五分の割合による損害金の支払を求め得るものである。故に、原告の本訴請求は、右支払を求め得る限度に於て、正当であるが、その余は失当である。
七、仍て、原告の請求は、右正当なる限度に於て、之を認容し、その余は、之を棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言について、同法第一九六条を、各適用し、主文の通り判決する。
千葉地方裁判所
裁判官 田 中 正 一